話すときはやっぱり聴いてもらいたいことがあるから話すんだ。
聴いてもらいたいことを、聴いてもらうことによって、
何がいちばん話したかったかということもわかる。
その、いちばん話したいことが、きちんと柱となって、
だんだん構築されてゆくと、枠ぐみというものができる。
だから、誰に聴いてもらうかというのはとても大切な事で、
枠ぐみづくりは、「誰に」という部分、
その誰かが決まったところから始まっていると言ってもおかしくない。


今日、わたしがいちばん聴いてもらいたかった人に、
聴いてもらうことができて、ほんとに嬉しかった。
自分にとって、根本的だと思える問いが、
自分の口からふいに飛び出すときの、
あの瞬間を待っているのだろか、
いや、実際のところ、その思いがけなさに、
ひれ伏してしまうという感じなんだけど。


自分の意識でわかっていることだけでは生きていけないってこと。
それだけは、こういう生活で身に染みてる。
なにか、自分ひとりでは勇気がなかった部分、
でも、そここそが「生きてて」「芽が出ようとしてて」「動いてる」、
そういうところをすくってもらった、という感じがする。
剪定とも言えるような。


そして、わたしの方からも選定する。
この切取られた限界という世界で、自由にわたしが選ぶという、
その選びが福音的であることを目指して、選ぶ。