ヘトヘトな学期終わりにかぎってフェット(打ち上げ)がある。
重いからだをひきずりながら*1フェット用品の買い物にゆく。
学校の廊下でトマトを刻む。
なんかこういうの、若いなとか思ったり。
あぁ、もうこの人たちともお別れかと思うと、なんだか淋しいような。
明日口頭試問のDはフェットに来てない、そうか準備してるんだな。
雰囲気を見に行ってみようかと思う。
さて、フェットにつきものな出し物だけど、
これまで盆踊りで通してきた、が、
今日はフェット料理で手一杯で、
出し物の準備をまったく忘れてた、そしてそれでも「日本人歌え」と迫られた。
で、「木曽節(おんたけさん)」を唄ってしまった。
じゃなかったら、他に何が唄えただろうか。
突然、「何か歌え」と言われたとき、頭の中をグルグルとまわったのは、
美空ひばりの「りんご追分」だった。
しかしこれだとたぶん場がしーんとなると思ったので、こんなことに。
こういうときのために、なにか用意しておかないとほんとまずいな。
とにかく・・・
三年過してみて、この研究科がやろうとしてることがやっとわかってきた。
結局、学生たちの問題意識を知ることで研究科の内容がわかる。
学生たちはほとんど現場で働いてる(あるいは働いたことのある)人たちで、
思弁と経験の中間領域を行ったり来たりしてるのだ。
彼らは神学の、ある種の思弁的言説が現場にそぐわないことを心底知ってる。
そんな中で模索してる人たち。
こういう土壌があって、はじめて、
基礎神学から、実践基礎神学という領域が生まれる。
Theologie fondamentale pratique...
同じような問題意識を抱えた仲間に出会えたのはほんとに嬉しい。
そうして先生達がちゃんとこのリアルな問題意識を汲み取って、
それぞれの研究に反映しようとしている努力が見えるのもまた嬉しい。
いやはや、学派が生じるってこういう感じなのかと・・・

*1:学生委員なので