「宗教」は「Religion」を翻訳


ぜひ読んでみたい本。

近代日本の宗教言説とその系譜―宗教・国家・神道

近代日本の宗教言説とその系譜―宗教・国家・神道

すごく高いけど・・・
明治期、西洋から来たことば「Religion」を翻訳する際、徳川時代まで「宗門」「宗旨」としての「プラクティス」(非言語的な慣習行為や儀礼的行為)は未だ宗教という概念では捉えられてなったが、文明の進行とともに、「プラクティス」なものは下位に置かれ、排除される流れのなかで、キリスト教を基軸とする「ビリーフ」(概念化された宗教体系=教義)的な宗教概念が浸透しはじめる。
スピリチュアリティに関する翻訳問題は、「宗教」という枠自体からしてこういう問題を引き起こしてるって、すごい話だなー。でも、それで解けるのは、神道は「道」で、仏教、キリスト教は「教」であるってとこ。結局、当時の政教分離の流れの中で、「宗教」という言葉が軸となって、それぞれの宗教認識をしてたってことになる。つまり、神道は宗教ではなく、国家の原理となる道徳論へ(だから政教分離)、仏教、キリスト教は、宗教の枠の中へ(そうして政教分離)。ダブル・政教分離なわけですね。すごい持っていき方。
フランスでも社会学、歴史の分野で、19世紀の闇がいろいろと明らかにされていますが、日本もすごいですね、研究が進んでるんだなぁ。すばらしい。
しかし、スピリチュアリティの訳も「霊性」ってことになってるんだけど。「霊」も「性」も、なんだろ、不思議。翻訳問題ってけっこう中心問題なのかもしれませぬ。