Claude Monet

karpos2006-05-24



長い時間待ってたということもあるけど、このヤナギの絵の前の椅子にかなりな時間を座って過した。なんというか、ほんもののヤナギの前にいたような気がした。
モネの発想は正しかったと思う。
人が絵を見る主体になるだけではなく、見ている人が客体になってしまうような絵を描きたかったんだ。描きたかったというか、置きたかったというか・・・。
結局、オランジェリー美術館に設置された後、モネはそれを見ることができなかったんだけど。でも、ここを訪れる人々を彼はいつも包んでる。
ヤナギの前に座っていたら、見覚えのあるおばあちゃんが入ってきた。
え?もしかして1時間以上も並んで待ってたのか?
まわりの人々も思わず見てしまうような表情。中には彼女を見て、くすっと笑っている人もいる。おばあちゃんは、満面に微笑みながら目を輝かせて、睡蓮の池に見入ってる。
すごく感動しているようなので、そっとしておいた。
でも、彼女だけじゃなかった。
なんだか驚いてるんだか、歓声をあげてるんだか、
その場に立ちすくんで、ぐるぐる見回してる人。
とかいう私も、ヤナギの前で完全にうずくまってしまってた。
美術館は、絵を見るだけじゃない、絵に見られるのだ。
印象派画家たちは、アトリエから出て、自然の空気の涼しさまで描いた。
自然を人間化すると文化になる、
って、今日、聞いた話だけど、
ヤナギの絵の前にうずくまってる状態は、自然と文化の境界線にかなり近い位置だ。
絵なんだから自然じゃない、
でも、私という主体は自然を内化してうずくまってる。
そういえば、
東山魁夷の絵が見たくなったな。
長野の美術館、大好きな美術館のひとつ。