Deus Caritas Est

Deus Caritas Est「神は愛」(3),Benedicte16

「エロス」と「アガペ」−差異と一致


3.思考や意志から生まれるわけではない、しかし言わば、人間には避けられない男性と女性の愛に対して、古代ギリシャは「エロス」という名を与えた。旧約聖書では、二回だけ「エロス」という言葉は使われているが、新約聖書ではまったく使われていない。ギリシャ語では愛に関する言葉は三つある、―エロス(eros)、フィリア(philia友情の愛)、そしてアガペ(agape)―新約聖書では特に最後の言葉「アガペ」がよく使われているが、この語は、当時のギリシャ社会における言語では周辺的なものであった。友情の愛(フィリア)に関して、「ヨハネによる福音書」では、イエスとその弟子達との関係を説明するために再度使われ、また深められている。エロスという語とは別にアガペという語を用いて説明される新しい愛のヴィジョンは、疑いなく、愛の理解に関して、キリスト教の新しさという何か本質的なことを示していたにちがいない。啓蒙思想によるキリスト教へのラディカルに拡大した批判の中で、この新しさは、まったく否定的な方法として見なされてしまった。F・ニーチェによれば、キリスト教は、実際それに死ななければ、悪に陥れらるだろうというエロスに毒を飲ませたかったのではないか*1。また、ドイツの哲学者は有名な認識としてこう説明している。教会は、その掟と禁止によって、生のもっとも美しい事柄を苦味に変えているのではないか?本来、創造主によって私たちに用意された喜びが私たちを幸福にする、その幸福こそが神的な何かを味あわせるはずなのに、教会はそれへの禁止の看板を掲げているのではないか?


人間には避けられない男女の愛をギリシャ語でエロスと言う。なるほどー!これはかなりわかりやすい説明だな*2。日本語ではどうなるのだろか、避けられない愛*3新約聖書に出てこないというのはたぶんさまざまな理解の仕方があるに違いない。B16の言う「アガペが当時の愛の概念を新しくするものとして新約聖書に現われた」も解釈の一つ。アガペが他のギリシャ語資料(神話とか?哲学書とか?)でどんなふうに使われてたかを調べれば、もう少し見えるのかも。

*1:Cf. Jenseits von Gut und Bose, IV,168, par dela le bien et le mal

*2:と説明されたところでどうってこともないのだが

*3:と思い浮かべた言葉が「性愛」。辞書を調べたら「男女間の性本能に基づく愛」とあり。たぶんこれだろうなぁ