un couple parfait

karpos2006-02-24



ベルイマンとアントニオーニを待って、ロッセリーニからゴダールへ、といった超美学的な線上に生まれたこの焼けるような傑作、諏訪は彼自身の特別なものを加える。言語によるコミュニケーションを介さない役者たちの即興を撮る、という。ル・モンド評から・・・


この映画のシネアストがゴダールとかだったらテレラマも星三つつけたんじゃないかね?と思うほどゴダールの香りを感じてしまいました(すみません!)。いや、ル・モンドよく言ってるなと思うのはこの即興の感じが「加えた」というふうに思えてしまうところなんじゃないでしょうか。
実際、凄い映画だというのは間違いないし、ル・モンドもかなりエステティックな評で褒め上げてる。この映画が理解できるって、相当わかってる人ってことなんだろうとも思う。
映画がフィクションとドキュメンタリーの中間に置かれてる、最近観たのだとダルデンヌ兄弟のL'Enfantとか、河瀬直美さんの沙羅双樹とか。諏訪監督も彼らの世代らしい。それも納得。
うむ何が言いたいんだろ、いやけっこう動揺します。
ロダン美術館でのシーンで学芸員が、カミユ・クローデルと関係を話しながら愛の煉獄の状態(煉獄とは、天国が近づいているのに、そこに至れない今、みたいなこと学芸員が言ってた)を表現したというロダンの彫刻の説明をしてる。だからつまり、映画は断絶が潜在的にはテーマなんだけど断絶してないわけです。そして映画タイトルが示しているように表のそれは「完璧」なわけ。断絶してるんだけど、してない、で、完璧。現代、男女の断絶は大テーマだとル・モンドも言ってます。が、その大テーマをこんなふうにあたりまえに、でもあたりまえじゃなく描いちゃうなんて。
しかしほんとこういうカップルって見たことあるなぁ。カップルって十中八九こういうことなんじゃないでしょうか。実家の母にはこの映画の美学は理解できないかもしれないけどなにかしら近いものを感じたり。
Valeria Bruni-Tedeschi美しいです。フランス語がもう一つなところもまたいい。そういうところもまた断絶のどうしよもなさがにじみ出てる。
ただ、なんだろこの不自然さと未消化な感じをわたしはどうしたらいいんだろ。これはわたしの問題なのか?役者の会話がはっきり聴き取れなかったり(自分のヒアリングの問題もあるけど)。わからないことが多いのね。わからないことが多くて、よくわからないのに、映像がどんどん自分に迫ってきて、ふつうのレベルで自分の心情がえぐられていく。だから、ことばなしの映像でいかに潜在意識までとどくかってことはあきらか。サブリミナルとまでは言わないけど、絶句。
そうそう、H Storyも見なくちゃ!日本人役者の映画も見てみたいです。
というわけで、un couple parfait日本公開を待つ。感想になってない(涙)。