Madame Butterfly 3

karpos2006-01-25



写真は、プッチーニ


ことのはじまり
アメリカ人作家John Luther Long原作の小説「蝶々夫人」が、ロンドンでDavid Belasco(1853−1931)演出によって演劇として上演される。1900年夏、プッチーニはロンドンに滞在しその劇を見ている。イタリア人プッチーニはこの英語劇を見ても言葉はほとんど理解できなかったが、この劇を「愛することと死ぬことしか知らない女性の生」と理解、そこからオペラ創作へのインスピレーションが高まる。
四年後、1904年、オペラ、マダム・バタフライとして一世を風靡する。ミラノ・スカラ座での初演が大失敗だったのは、手元のCD解説によれば、当時売れ過ぎてたプッチーニに対する反感を持つ集団が劇場で荒れたとか、あまりにも異国情緒すぎて観客が理解できない演出だったとか、いろいろ言われてる、が、1905年ロンドン、1906年パリと、順調に進んでいる。


芸者、日本、旅人西洋人との愛
蝶々夫人」に先立って、フランス人作家Pierre Loti「お菊さん」Madame Chrysanthème (1888)がある。この小説もフランス人作曲家André Messagerによって、音楽劇になっている(1893)。日本の伝説では下田の有名な芸者で「お吉さん(唐人)」。1857年アメリカ人ハリスとの結婚。



国本静三氏の解説
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/puccini_madama_butterfly.html
すごい詳しい・・・。以下、部分引用。

【オペラ「蝶々夫人 Madama Butterfly−Tragedia giapponese」】解説より
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/puccini_madama_butterfly.html


<音楽的特徴>


プッチーニは劇音楽に優れていることはすでに述べた。「蝶々夫人」において彼がやったことは多数の日本の旋律を引用したことがすぐに判る。彼のオペラにこのようなやり方は多いが、「蝶々夫人」(日本の歌)、「西部の娘」(カリフォルニアの歌)、「トゥランドット」(中国の旋律)により具体的にあらわれてくる。

蝶々夫人」に話を戻すと、日本人によく知られた歌が日本人の観念にしたがっては適材適所に用いられてはいない。プッチーニの音楽観から選択されたようだ。つまり歌詞の内容とか曲の内容には関係なく、曲想からプッチーニは用いたようだ。具体的にいえば「お江戸日本橋」、「越後獅子」、「かっぽれ」、宮さん宮さん」、「高い山から」、「君が代」、「豊年節」、「推量節」、「さくらさくら」などが聞えてくる。それらはそのままの形や変形されたり、ほんの断片的に用いられたり動機になったりしている。

では彼は如何にして数多くの日本の旋律を入手したのだろうか。このオペラの世界初演は1904年、日露戦争勃発の年であり、同じ月である。この時の日本の国際的評価は高かったにちがいない。こうした時期のイタリア駐在公使大山綱介のひさ子夫人はプッチーニと知己であった。彼女の在伊期間は1899年(明治32年)から1907年(明治40年)に及んだ。この間彼女は邦楽の素養もあったし、プッチーニに日本の音楽を歌ったりして教えたのであろう。また日本のレコードを取寄せてプッチーニに寄贈したという話も伝えられている。プッチーニの部屋に残されて多くの邦楽のレコードは、1901年にイギリス・グラモフォンが制作したものであった。オペラに引用されたものばかりだという。

あと書斎に残されていたサリヴァンSullivanイギリス(1842-1900)のオペレッタ「ミカド」の楽譜や、パリ版のベネディクトBenedictドイツーイギリス(1804-85)編集の日本旋律集なども参考にされたのだろう。また1902年の春、明治の有名な俳優川上音二郎とその妻川上貞奴一座のミラノ公演の舞台も見物していた。


愛することと死ぬことしか知らない女性
このテーマは、世界共通か?という問題。日記二つ下の演奏風景を見れば、日本の着物も、日本の紙の家も、富士山も芸者もウグイスもない(とはいえ、ああいうシンプルな装置というのも、ものすごい日本的なものを感じさせられるけどね)。プッチーニが当時採集した「日本の」民族音楽(ワールド・ミュージック、懐かしい響きだなぁ)が散りばめられた西洋音楽という枠の中に繰り広げられる「ある女性の一生」を、ちょうど100年後の今日、上演する時、もうそこにはあの日本の19世紀の長崎は消し去られることが可能なんだ、という。消し去られるというのも大げさな話で、実に文学、リアリティがあるとすれば、「愛することと死ぬことしか知らない女性」のこのリアリティしかないということになる。
先日、今回の公演についてラジオニュースでコメントが流れてたらしい。「蝶々夫人役は中国人のソプラノ歌手がするというが、中国人に日本の芸者役がどれだけ演じられるか?」みたいなことを言ってたらしい。けど、演出によっては、日本どころか、芸者というアイデンティティさえもどういうことになっているかわからない。


愛することと死ぬことしか知らない・・・「男性」ということだってあり得るわけで。


こちら、日本の女性にこだわる日本のソプラノ歌手、やっぱりかっこいいネ・・・
↓サイトの写真もステキだなぁ。最期のシーンは涙なしには見られない。
http://www.nntt.jac.go.jp/season/H17highschool/talk2.html

大村博美さん:蝶々さんという役柄は、日本人であるということをはずして考えたくありません。海外で蝶々さんを歌う機会があると、日本が舞台というところにそれほど重きを置かずに、現代や、他の様々な国や時代へと設定を変える傾向が強いことを感じますが、私としては、この時代の日本と、日本の女性というところにこだわりたいと思います。プッチーニもわざわざそのように設定して作曲したというところを尊重して、プッチーニの描きたかった日本の女性像「誇りを持ち、弱くはかないように見えて、実は芯の強い女性」を表現したいと思います。

このオペラでは、最後まで妥協することができず、死をも受け入れざるを得なかったという、外国にはない日本の潔さの文化を描いていると思います。楽譜をじっくり眺めると、イタリア人の男性であるプッチーニが、よくもここまで日本の女性の心理や性格描写を描けたと、その洞察力に感嘆してしまいます。プッチーニの書いた音楽にのせて歌詞を読み合わせると、自然とその女性の姿が浮かび上がってくるのです。


でも、「潔い文化」と言われると違和感!!!
だからこの蝶々さんは、日本「独自」な女性なんですって日本人の私が言うかどうかの問題。
まぁ、とにかく、あと、何が引っかかってるかというと、
アメリカーフォーエーヴァーってとこの歌詞が嫌だってことなんだけどね。