Madame Butterfly 2

karpos2006-01-24



舞台は長崎。主人公の蝶々さんは芸者で15歳、武士の娘だったが、その父が亡くなって芸者に。春、アメリカ人の海軍将校ピンカートンに見初められ結婚するが、その年の冬には、別の仕事のため、蝶々さんと女中のスズキを残し、長崎を発つ、春には帰ってくると約束して。蝶々さんは春を待つ。三年が経ち、ピンカートンと友人シャープレスは帰ってくる、しかしピンカートンにはケイトという新しい妻あり。打ちひしがれる蝶々さん、ピンカートンとの間に生まれた子どもへの思いに引き裂かれながらいのちを絶つ。


はじめに家の紹介。ゴローとピンカートン。領事シャープレスが丘をはぁはぁと息をきらして登って来る。ピンカートンは、999年というあってないような契約でこれから住むこの丘の上の家を買う。いつでも好きな時にこの契約は解除可能。この国は、家も契約も柔軟でバガボンドにはもってこいだと。ミルクにするか、パンチ、それともウィスキー?男二人、アメリカ人、酒を飲みながら、これからとり行われようとしている結婚の話。愛は美しい、愛はいい。ピンカートンは999年のために日本人女性と結婚する。まさにこれが自分を解放させる自由。


America for ever! America for ever!


ここのところ、通学の電車でこれを聴いてるのだけど、頭の中をこの「アメリカー、フォーエヴァー」がぐるぐる回ってる。合衆国国歌のメロディで、けっこう繰り返し出てくるこのフレーズ。「宮さん、宮さん」とか「サクラ、サクラ」、「君が代」といった日本のメロディと交差しながら、ガーシュインみたいないかにもアメリカらしいメロディーもあらわれて、微妙なハーモニーをかもし出す。とはいえ、結局のところ、ピンカートンと蝶々さんのデュエットとか、蝶々さんのソロも含め、愛を歌い上げる部分のほとんどは完全に西洋調なので、日本のメロディは異国ムードをかもし出すという効果というわけで、ゴローとかスズキとか、あとお坊さんとか、ユーモラスな部分が日本そのもの。


そっか、だから、不思議な魅力なんだな。


悲劇の主人公、蝶々さんは、観客にとってもっとも中心化されるべく、心うたれたり、涙さそわれたり、共感したりする人物、その人物の背景には、まったくの異国情緒が広がっていて、その異国が蝶々さんの内に一気に集約される。蝶々さん自身はというと、日本という独自性を兼ね備えながら、日本の外側の枠ぐみ(西洋、音楽、外国人)の中に身を置き、その枠ぐみにも即した形(統合)で、彼女自身のメッセージを表明する。


プッチーニによれば、蝶々さん自身のメッセージとは、愛することと死ぬことしか知らない女性。


写真は、初演のポスター。
この背中、おばあちゃんを思い出す。昔の日本の女って感じがする。
ちょっとステレオ・タイプすぎか。
http://www.hku.hk/french/dcmScreen/lang3022/lang3022_butterfly.htm