羊飼い

karpos2005-11-21



日曜日、もう来週からはノエルを待つ日々。
あぁ、今年も終わりに近づいたんだね。
世のすべての支配と権力、勢力を彼が終わらせるという信。
彼を王と呼ぶというのはつまり、
世が言う王の価値とはまったく逆説的なその現存に出会うという話になる。
王とは、人間の深い憧憬のようなもの。
わたしが憧れているのはなにか、どういうことか。

まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。
エゼキエル34章11−17

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。
詩編23

王が言う。
あなたたちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、
のどが渇いていたときに飲ませ、
旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、
病気のときに見舞い、
牢にいたときに訪ねてくれた。
マタイ25、35,36


主が言う。
わたしは失われたものを尋ね求め、
追われたものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、
弱ったものを強くする。
しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。
わたしは公平をもって彼らを養う。


皆、誰もが、真実を求めて探し歩く。
けれども、神の正義に達することは到底できないだろう。
わたしがそうだ、それを見つけたと、一瞬でも思った時点から、
その者は肥え肥るということなのではないのか。


死すべきこのわたしにキリストが生きる。
信じられないほどの断絶がからだに宿るということ。
まさに、ディスタンス。


失われた羊飼い。
この引き裂かれた世界のまんなかに。




紅葉写真■by H.katayanagi
写真いつもありがとう。日本の紅葉、もうすぐ冬。