宗教なき時代のために


「宗教なき時代を生きるために」森岡正博さんがオウム真理教事件の直後出版された本。
森岡正博『宗教なき時代を生きるために』(生命学ホームページ)
森岡本を読み始めたのはこの本がきっかけだった。
宗教なしで「生」に根ざした人間的な人生を生きていける、そしてそのためにはどうしたら良いのか?宗教という媒介なしで「スピリチュアル」に生きるための深い考察が始動してるという印象を受けたことを思い出す。その後、森岡さんは「生命学」という新しい学の領域にご自身を投入、「無痛文明論」という大著が生まれている。
無痛文明論: 現代社会批判, 資本主義, 条件付きの愛, 私の死, 欲望など
森岡本を読んでいると「宗教」というテーマはまるで対位旋律のように聴こえてくる。それに対する批判は冷ややか、と同時に、それなしに森岡さんの立論は響かないのだ。


この国で最近話題になっている「アンチ宗教&論争」。

Regis Debray:Les communions humaines, Pour en finir avec «la religion»,「人間的コミュニオン、“宗教”とその終わりのために」2005年3月(一致する人間、理解しようとする配慮、こういう事柄を話す時、簡単に、象徴、聖性、霊的という意味内容を含む「宗教」言語と混同しているのではないか?という問い、ここから宗教と社会の完璧な分離を説く)

Michel Onfray:Traite d'atheologie「無神論概論」2005年1月(こちらはキリスト教だけでなく、すべての宗教にアンチ。スピノザニーチェの議論継続。聖職者至上主義を徹底的に批判してるらしい。こちらはすでに10万部出てる)

両本のレビュ http://livres.lexpress.fr/critique.asp/idC=9778/idTC=3/idR=12/idG=8

日本でも「宗教」という言葉自体が壊れてしまっているように思えて仕方がないのだけれど、この国でも何か違う次元ででも同じような現象が起こってるのではないか?という気がしてならない。この「壊れ」はいったいどこから来るのだろう。それは取り返しのつかない壊れなのか?それは再解釈されるのか、それとも再生されるのか?あるいは、まったく思いもつかなかった何かが生まれるのか?