神の発見

神の発見

神の発見

五木 親鸞の言う「悪人」とは、自らの罪を自覚して、それを懺悔し、嘆き悲しんでいる人、ということになる。そういう人は救済される。そうすると、懺悔の意識のない悪人はだめなんだろうかと迷うのです。
森  私は最近、神の優しさを強調するために、こんな話をしております。私がいま信じている神様は、天国の門の前に出て、来る人来る人に頭をさげて、「こんなひどい世界と苦しい人生を与えてしまって申し訳なかった」と謝っているんです、と。
五木 それは大進歩ですね。遠藤周作さんは、裁く神から、ゆるす神へ、と書く。森さんはゆるすのでも、まだ足りない。謝る神。そこまでいくと、徹底していますね。
森  そして、もう一つ付け加えます。「きびしい人生に疲れてもどってきたのだから、ゆっくり休みなさい」と、神は言ってくださると。放蕩息子の帰宅のたとえ話がまさにこれです。
『神の発見』p95

五木寛之さんが単純に聞く。
キリスト教の救いって、なんなんでしょう?」
森一弘さんこたえる。
「キリストの手をしっかりつかむことと、キリストのこころを生きること。
それが救いだと思います」
この後、人間に謝る神のあたたかさが森さんの口から放たれる。
謝る神。
もしも目の前で神さまが私に謝ったら、
私は泣くと思う。
私こそ謝りたいことがいっぱいで。