羊飼い

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」
ヨハネによる福音書10章11−18

羊は自分の羊飼いの声を聞き分ける。
囲いに入っていないほかの羊も羊飼いの声を聞き分ける。
この声を聞き分けることができる、内なる、敏感な。。。
それは、聞くことしかできない。
それは、見ることはできない。
囲いの内と外は聞くことによって完全に取り払われる。
壁が壊される瞬間、見えぬ壁が。
それは、再び受けるため、捨てられる。
それは、受けることしかできない。
声を聞く。
もしもふたりが聞き始めたら。
同じ音楽を聴き、同じメロディを辿っていくように。。。