かたくな

このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
ヘブライ書7章1−3

エスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。
マルコによる福音書3章1−6

昨日観たハウルの、荒れ地のモト魔女のおばあちゃん、かたくなだったねー。
おばあちゃんになったから、ちょっとはマシになったかと思えば、
最後の最後まで、ハウルの心臓握って離さなかった。
いやはや、って思ったよ。
宮崎駿監督はこの映画、観る人の視線が反映された観る人の解釈で宜しいって言ってたらしいんだけど、まったく、とほほーって思ってしまったのは、荒れ地のモト魔女のおばあちゃんが一生懸命、心臓握ってる姿でした。
ま、情けないことに、この、かたくなさは、わたしなのね。反映されてます。
じーっと黙って、心臓、心臓って言ってうつむいてる。
最後は、ソフィに抱きしめられて「じゃ、仕方ないね、心臓返すよ」って言ってくれて一件落着。良かった良かった。最悪でも、こういう結果に行きたいもの。けど、今日のファリサイ派とヘロデ派のは、どうやって殺そうかと相談し始めただよ。
こういう気持ちの悪さが自分のなかにもあるんだっていう気持ちの悪さを思ふ。