Ap7,2-4,9-14;1Jn3,1-3;Mt5,1-12a

愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき、御子をありのままに見るからです。一ヨハネの手紙3.2

心の貧しい人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである。
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである。
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え乾く人々は、幸いである。
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである。
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである。
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである。
天の国はその人たちのものである。
マタイによる福音書5.3−10

この世界にもしも、わたしが「愛する者たちよ・・・」と語りかけることができるなら。世界はあまりにも大きいし、一人で世界を廻りきることなんてできないけど、それでもわたしが生まれたこの時代の、この世界を意識して、「愛する者たちよ」と語りかけることができたら、もうこれ以上の喜びはないんじゃないか。

わたしはこの世界を見て「なんてことだ!」と嘆いている。わたしはわたしの現実を見て「それではだめだ」と責めている。わたしと世界はいつだってブツクサ言っている。

夢を求め、故郷を遠く旅した青年が追いはぎにあって、殺されて、見せしめにされているのを、小さな箱の動く図像が一瞬よぎらせた。同じ旅人として、この世界を旅する者として、あまりにも辛い知らせ。でも我らノマドが行くべき道は実にこういうことなのかもしれない。

わたしの心から心の憐れみがにじみ出てくるまで、わたしは道をくだる。悲しみの狼にむかって「愛する者たちよ」と近づいていくことができる日を夢みて。