2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

Histoire

どうしても仕事がら、歴史のことは扱わざるを得ないので、歴史(認識)問題には注目する。 もちろん歴史家に対しては専門家だから尊重するけど、 教育とか、神学とか、あと哲学やってる人もそうだと思うけど、 歴史のことはまぁ専門家である歴史家に任せてお…

Mary

Abel Ferrara監督の映画「マリア」を観てきた。 http://www.mary-lefilm.com/# この映画の中の映画This is my bloodはたぶん、メル・ギブソンの映画「パッション」をかなり意識してると思われる。ジュリエット・ビノッシュ演じる女優マリアは、その劇中劇の…

Madame Butterfly 3

写真は、プッチーニ。 ことのはじまり アメリカ人作家John Luther Long原作の小説「蝶々夫人」が、ロンドンでDavid Belasco(1853−1931)演出によって演劇として上演される。1900年夏、プッチーニはロンドンに滞在しその劇を見ている。イタリア…

Madame Butterfly 2

舞台は長崎。主人公の蝶々さんは芸者で15歳、武士の娘だったが、その父が亡くなって芸者に。春、アメリカ人の海軍将校ピンカートンに見初められ結婚するが、その年の冬には、別の仕事のため、蝶々さんと女中のスズキを残し、長崎を発つ、春には帰ってくる…

Madame Butterfly

一生に一回でいいから行ってみたかったオペラ。 いよいよ近づいてきた。 身分に相応な額の超後ろ席が手に入る。 しかも「蝶々夫人」。 オペラってやっぱり音楽の頂点だと思う。 総合芸術とも言うけど「芸術」・・・うむ、やっぱり「音楽」だ。 写真によればこん…

体内時計の花

http://www.k2.dion.ne.jp/~lyre/info.htm 懐かしい友たちが作成した自主製作アルバム。 胎教*1コンサートで長年、作曲、演奏してきた杉江慶子の音楽が収録されている。この胎教コンサート、「リビングひろしま」という地方無料情報誌が年に二回(くらい?)…

演奏したということ

なんだか熱冷めやらず、心地よい疲れ。 しかし、ブランク15年、よくも人前で演奏するわって感じです。 しかもけっこうな大曲。 それこそこれ、音大の卒演とかでするんですって!?フォーレのファンタジー。 レッスンしてくれた友人が、どうしてこんなの選…

演奏するということ

これまで練習してきたシューベルトとフォーレ、木曜日に本番をむかえる。 昔ながらの友人でフルーティストが日本からパリに遊びに来て、 なんと、無料で二時間もレッスンしてもらった。 音大卒業後、彼女はトラヴェルソの勉強をし、 毎回、音を聴かせてもら…

受難予告

写真はシナイの荒野を行く遊牧民と家畜。 イエスの変容の場面は、 マルコ、マタイ、ルカ三つの福音書に描かれている。 この三つに共通しているのは、すべて、 この箇所が、「死(受難)と復活」の予告にはさまれているという点。 神の子、人の子としての「イ…

出エジプトと福音

小休止しようと思ったけど、もう少し続けてみる。 マタイの福音だけでなく、 他の福音書も、特にパウロの手紙とか、 もちろん黙示録も、だからすべて新約聖書は、 旧約聖書の背景があって成り立つ「書」なのである。 よく新約聖書だけの聖書を持ち歩く人がい…

解放を語ることば

マタイ2章16−18、ヘロデが子どもを皆殺しにする場面と、モーセの天敵、ファラオが子どもを皆殺しにする場面がパラレルだが、その次、エジプトからの帰国場面の比較。 モーセとイエスというよりも、ここでは、モーセとヨゼフという感じ。 しかし、構造的…

東方で見た星

マタイ2章1−12つづき 10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 原体験ということかな。 喜びに包まれているという経験。 その前の箇所をみると「東方で見た星」に囲まれる構造が浮き上がる。 Mt2章1−9 ■ユダヤ人の王として生まれた方はどこか?…

まさかを語ること

マタイ1−2章、つづき。 神が私たちとともにおられる。 この「まさか」を言う、処女懐胎。 ヨゼフはダビデの家系に属し、その妻のマリアからイエス誕生。 うすいピンク色は私たち(ダビデの血を引く律法の民)。 マリアは濃いピンク色。 同系色だが、私たち…

信じていることを言うこと

マタイ福音書1章前半は系図、後半はイエス誕生。 ナザレのイエスは復活して、今も生きている。 福音記者マタイは、彼の生きた信仰共同体に、この「信」を宣言、説教するために、 手元にある「マルコ福音書+Quelle資料+口頭伝承」をもとにしながら、 彼が…

神があなたたちとともに

馬小屋の件もあり、聖書はきちんと読もうと心に決めた新年。 マタイの福音書は、その章のはじめ、ヨセフに告げられた「インマヌエル、神があなたたちとともに」(1.23)から、復活後「世の終わりまであなたたちとともにいる」(28.20)と弟子たちに…

いのちにある

Etre en vie. わたしは「いのちに」ある(je suis en vie)。わたしがこの「世界」(au monde)に来るために、「わたしが存在する」(j'existe)ために、わたしは「いのちにある」ということで充分である。 Paul Ricoeur, Philosophie de la volonte I, p.385 新年…