(けい)から(けゑ)へ

1996年、いよいよ目の前に2000年が到来するという頃、わたしは友人である(無痛文明の住人)さんから紹介され、法蔵館の季刊雑誌「仏教」に連載されていた森岡正博さんの「無痛文明論」を一生懸命読んでいた。一生懸命にという言葉が一番相応しいと思う。発売されるのを楽しみに、お金のあまりない学生さんたちにはコピーをして渡し、(無痛文明の住人)さんをはじめ、仲間と一緒に読書会まで開いてけっこう議論していたと思う。そして、なんと、ご本人もお招きして、出前研究会まで企画した。宗教のことを考えたかったし、たぶん、神秘と日常との間のことを自分なりに理解したかったのだと思う。

あの頃、森岡さんが開いていたBBSは背景が水色のteacup掲示板だった。皆、ペンネームで自由に書き込みをし、あまり炎上もなく、ただ、「無痛文明論」に関わる事柄を毎日、毎日、思い巡らしていた。。

その時のペンネームは(けい)だった。

いわゆる森岡さんのファン・掲示板なのだが、お互いのことをペンネームで呼び合い、語りかけ、応答し、いわば、陽が登っている時にし忘れていた内省というものを、闇の中で薄明かりのwidows98の画面を見つめながら、小さな掲示板の窓に書き込んでいた、ある種の共同作業だったような気がする。

あの頃のあの掲示板での言葉のやり取りが、わたしの今を支えている。

あれから20年ほど経って、今では2ちゃんねるくらいしか残っていないteacup掲示板に出会った。同じ水色の掲示板だ。

もしかしてこの掲示板の主はずっとこの掲示板を使っていたのか?それはすごいな。無性に何かが書きたくなって、何か忘れたけど書き込んだ。ペンネームは?同じように(けい)なのか?いや、そこは変化をつけたい。そこで考えたのが、母がわたしの名を呼ぶ時のあの音声だった。(けえ)。母はわたしを(けい)とは呼ばない。(けえ)と呼ぶ。それからだった。(けゑ)はこの掲示板から誕生した。

掲示板の名は、三遊亭白鳥掲示板。

 

香口というのは…

父方の母、つまり祖母の苗字が香口という名だった。珍しい名だ。その上、きれい。

そもそもkarposの本名の姓自体にはあまり親近感がない。どうってことのない名だ。

父が亡くなるちょうど半年前、祖母の実家のあったところにドライブに行き(かなり田舎なのだが)山道を抜けて、開けた田んぼの広々とした風景を見て、単純に、あぁ、いいなぁと思った。この辺にはまだ香口さんという家があるんだろうという話をし、急激にこの名前に惹かれてしまった。

祖母、おばあちゃんの名は、コワキ。香口コワキ。花田植えの踊り子をしてたらしい。

春になると、山間の田んぼに花田植えの若い娘が出て踊りを披露する。

そこに、沿岸部の威勢のいい若い衆が、娘の踊りを見学に来るらしい。海の方から来た若い衆は肌も陽に焼け、やんちゃで、あっという間に娘たちを虜にする。花田植えの娘たちと海の若い衆。山の娘と海の若い男がこうしてあっという間に結ばれる。何組決まったんだろ。うちもそのケース。そんな物語が始まった場所に、最後に父とドライブした。半年後、まさか、自分も死んで、天国のお母ちゃんと会うことになろうとは、思ってもなかったと思うよ。

父はうちではパパさんと呼ばれていた。

パパさんはおばあちゃんが大好きだったのか。おばあちゃんがパパさんを好きだったのか。

亡くなる直前、パパさんの顔がおばあちゃんそっくりになった。

おばあちゃんが迎えに来たんだと思った。

顔と顔が合わさるどころか一つになった瞬間だった。

それから、だな。

わたしは香口という名前を得た。まだ、ネット上でしか存在してないが、

いずれ、香口けゑとしてリアル上に存在してみたい。

残りものとして。

 

香口けゑとの関係

Twitterでのつぶやきが落語に集中してしまっている。

いつからか・・・

去年の今ゴロ、お母ちゃんが悪くなって死んで、一昨年の今ゴロ、お父ちゃんが悪くなって死んで、その一年前くらいからだな、寄席に通い始めたのは。

小学生の頃の土曜日にやってた吉本新喜劇の中に落語の時間があって、それは必ず聞いてた。ずっと気になっていたけど、聞くのは飛行機に乗っている時ぐらいだったかな。けど、衝撃的な出会いが、その飛行機寄席であって、あれはJAL寄席だったな。「真夜中の襲名」三遊亭白鳥師匠。上野の動物園の夜、有名なパンダに比べて、ぜんぜん人気のない白黒うさぎが大名跡を襲名するって噺だった。その時、「白鳥」という名前だけを頼りに、一度、寄席に本物を聞きに行きたいと思っていた。

その日が来たのは、妹のなおちゃんと一緒に池袋演芸場に行った時。たしか、文蔵師匠、百栄師匠、そして最後に現れたのが白鳥師匠だった。演目は「隅田川母娘」。

なおちゃんとお腹抱えて大笑いした。いや、大笑い大泣きした。

あの日から火がついた。寄席はわたしにとっていつしかミサになってしまった。

寄席では、客が一心不乱に噺家の語る世界を見ようとしている。物語は声とジェスチャーとでしか客側に伝達されないので、客が必死になるしかないのだ。見るともなく見つめ、聞くともなく聞く。そうやって、客は、世界の中に飛び込んでいく。まるでその世界の中に入って、自分も見ているかのように。のぞきカメラを見ているように。万華鏡を見ているように。

客は救いを求めて、噺を聞く。

今、住んでいる世界には救いがないから、新しい世界に救いを求めているんだ。

落語はほんとうの宗教を今も実践している。

 

はてなのブログへの移行ってことで・・・

はてな」に昔っから書いてきたものを無しにできず、だからといって、なんかまとめることもできず、そのままにしている。はてなダイアリーの人びとって、強制移行してるんかな。

昔、「葉っぱさん」という人がいて、その方は、はてなダイアリーの中で最終的には亡くなられたんだけど、とうとう最後まで会えなかったんだな。

掲示板から入っていって、ネットで知り合って、実際に会えた人もいるんだよ。

てるてるさん、hirokoさん、そして、emmausさんにも会った。

もちろん森岡さんにも会ったしね。あれはまだ1900年代だったんだわ。あぁ、今年は平成だって終わるんだぜ。

実際に最後、このブログ、わたしの生命時間とどう関係するのか?それはわからんな。あくまでもkarposでやって行きたい部分がどっかにあって、メールも携帯も全部やめたくせに、格安海外テレフォンカードでただ日本にコールしていた時とか、リヨンやパリでぼろぼろになってもう一回ネットに戻って、何を考えてきたか?とか、ね。

そういう部分もひっくるめて、この「はてなダイアリー」からは離れられない。自分の考えてきたどーしようもないことから離れられない。

ま、そういうことだな。だから、移行も自分の手でやった。

広島カープ

1975年の広島。南区にある大河小学校。
わたしは小学校4年生で巨人ファンだった。
クラスでたった二人の巨人ファン。
いつもは人気者だった男の子とわたし。
教室では優勝の場面を見てもいいというクラス担任の許可で、
みんなでテレビでカープ戦を観戦してた。
そして、勝った。優勝した。
その時、カープファン筆頭の悪ガキが、巨人ファンは教室から出てけーと言った。
いつもは人気者で頭のいい男の子とわたしは教室を出ていった。
うら覚えだけど、その時出ていったことは覚えている。
廊下で、二人で話すこともなく、
ただ、それぞれ黙って、教室内のみんなの歓声を聞いていたような気がする。
今、思えば、もしかして、そういうことだったのか?
いつもは人気者で頭のいい男の子は学級委員とかしたり、足も速いし、スポーツマンで、しかも、もててた。
出てけーって言った子が、なんでもないわたしをわざわざ出て行かせる理由もない。
わたしはごくごく普通の可もなく不可もない小太りの女の子だった。
あの悪ガキはもしや、ここぞとばかり、仕返しをしたのか?
いつもは人気者で頭のいいスポーツマンの男の子をやっかんでいたのか?
で、この機に乗じて、やってしまったのか、うさ晴らしを。

この写真、このまえの優勝の前の前の試合だ。
わたしは父親と広島の友人たちと半年前から取ってたチケットゆえにマツダスタジアムに観戦に行った。
わたしがカープファンになったのはいつからだったのか?
はからずも、この日の試合で、父が、
「こいつはずっと巨人ファンじゃったんじゃけ」と言い、
友人たちは、えーそうだったんですか?と言い、
上記のエピソードを久しぶりに語った。

わたしはかつて巨人ファンだった。
そして今はカープファンになっている。
このたびの優勝は感動しているし、泣いたし、嬉しい。
しかしどのように喜んでいいのかがわからない。
もしかすると、カープファンであることを意識して初めての優勝じゃないか。
小学四年生のあの時に、やっぱり広島に住むからにはカープファンじゃないと生きていけないと悟ったか。
広島から父の転勤で愛知県に行き、中日を応援する気にもなれず、いつしかカープファンになったのか。
それとも、広島=故郷へのノスタルジーでそうなっているのか。
まったくわからない。
いつからカープファンになったのかわからない。

けれども、それにしてもだ。
広島生まれです、カープファンです、というのはいかにわかりやすい話だろうか!

といわけで、とにかく、優勝おめでとうございます!


はじめてのカンボジア


そうだ、そもそも「カンボジアが苦手」だったんだ。
なんかわかんないけど、昔から、「カンボジアに行かなければならない」「カンボジアにふつう行くものだ」「カンボジアに行かなきゃなんにもわからないだろ」的な強迫観念がどこかにあり、しかも大の苦手の「体験学習」的な要素もからまって、「カンボジアに行くの躊躇する」になっていた。
しかしなぜだか私に白羽の矢が飛んできて、あっさり強迫観念が取り去られ、とうとう「カンボジアに行ってしまった」。
というわけで、カンペキに、「カンボジアに、はまった」。
また「カンボジアに行きたい」。いや「カンボジアに当然また行く」。
何しに行くってわけではない、たぶん友情が芽生えてしまったってことだ。

[生] 夏風邪

とうとう夏風邪をひいてしまった。ここ数年、夏風邪なんてひいたこともないし、はっきり言って、「夏に風邪〜?」「え〜?」みたいにばかにしていたところもある。しかし、夏風邪ってほんとうに辛い。治しようがない感じ。だるいし、汗かいても改善した感じにならない。冬の風邪はね、ストーブからなにからつけて、あったかくしてね、汗いっぱいかいて、すっきりするんだけれど、今回は違う。
もののインターネットでの教えによれば、睡眠をしっかりとって、安静に、とある。そもそも身体全体がだるくて仕事をする気も起こらないので、そのとおりにすることにする。
学校に行ったら、風邪だらけ。
教室でも咳をしたり、鼻をかんだり・・・
ああ、流行ってるのね。わたしだけじゃないのね。